礼拝堂建築の歩み


1888(明治21)年10月15日には、松山町大字松山字本町418番地に建てられた礼拝堂の聖別式が行われ、松山聖ルカ教会と命名され当時、東松山では最初のキリスト礼拝堂であった。

その後、礼拝堂の移転建築が続き、1905年には材木町4242番地(現東松山保健センター)、1930年に材木町4107番地(現丸広百貨店)、1970年10月に材木町19-6(丸広の隣)にといった具合にそれぞれ移転した。
2011年3月の東日本大震災の後、礼拝堂と牧師館のほか、隣接する松山聖ルカ幼稚園の耐震性が不十分であったので、種々検討の結果、市内下青鳥の栗林を購入し、園舎とともに礼拝堂と牧師館も新築移転し、2018年3月23日に礼拝堂聖別式を行った。


東松山市 材木町(丸広の隣)にあった聖堂内
                                           2015年3月24日、12月24日 撮影

   
 東松山市 材木町19-6 にあった教会(4代目)と教会案内板            2018年 3月16日 撮影

   
 教会と併設されていた「松山聖ルカ幼稚園」          園舎の「マタイによる福音書」レリーフ 
                                        2018年 3月16日 撮影

 「幼児らの我に来るを許して止むな天国は斯くの如き者の国なり マタイ伝 19の14 1969.12.25」と刻まれている。

 1987年出版の「聖書 新共同訳」の「マタイによる福音書 第19章 14節」では、次のように書かれている。
 『しかし、イエスは言われた。
 「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」』
 
 教会建築後の1926(大正15)年に幼稚園が設立し現在に至るが、2018年3月の幼稚園卒園式では、卒園児数が7,000人を超え
 移転前にひとつの歴史を刻んだ。
 移転後は、認定こども園 松山聖ルカ幼稚園として新たな歩みが始まった。

     
       現在の教会2018年完成(5代目)  現在の聖堂内
            2019年12月29日 撮影                     2019年8月25日 撮影

戻る


2020.01